形を整えると 心が見えなくなる

世界各地で成人式のようなものが行われています。

 

 

 バンジージャンプで頭から落ちることが出来たら 大人として認められたり、

 

 ワニが精霊と信じられている所では カミソリで体を傷つけて それに耐えぬくことが大人の証だったり、

 

 犬歯を削ることが 獣から人に変わることだったり、

 

 水も食料も断って 神の啓示を受けるために 山にこもったり

 

 フォーマルウェアーで舞踏会にデビューすることが 社会人として認められることだったり・・・。

 

 

 

形や歳が違っていても 子供を大人社会に迎えるためには 区切りみたいな機会をあえて作る事には 賛成です。

 

しかし、各地で報道される あのバカ騒ぎや荒れようは 何かが間違っていますね。

 

 

 

もともとの成人式は 農村で20歳になる子供達を 大人が祝ってあげようと集まったのが始まりだと聞いています。

 

これから村を背負っていく若者達を 村の大人が皆で迎い入れて祝ったのです。

 

温かくて愛情にあふれた祝いに、きっと若者達も 認められる嬉しさと もう子供ではないという自覚や責任感が

 

湧いたことでしょう。

 

 

 

それがとても良い企画だということで 日本中に広がり、全国の自治体が成人式を開催するようになりました。

 

が、子供達の いえ 新成人たちのあの騒ぎには 目を覆いたくなります。

 

 

 

形を整えれば整えるほど 心が見えなくなっていくものです。

 

心を忘れた大人が式という形に押し込もうとすると 形式に反発する若者が壊そうとするのは当然です。

 

どこぞの成人式では 市長さんが若者受けする唄を歌って ご機嫌取りをしたかと思えば、外では警察官が待機をしている。

 

「成人の日」が 自治体の成人式だと思っている大人にこそ問題がある。

 

 

 

大事なことは 本人が一人で育ったわけではないと気付くこと、

 

親、親戚、ご近所の大人達から大事に見守られて大きくなったこと、

 

そしてその佳き日に 大人達が喜んでいると実感できること。

 

 

 

形を整える事にとらわれると 心が見えなくなる。

 

心のあるものは どんな形を取ろうとも 美しく 胸が熱くなる。