冷えた秋の日は 朝も夕も美しい景色を見せてくれます。
最近では短くなった秋の季節を どうにか堪能したいと思い 手を休めて見入る日が多くなりました。
こんな景色を見ていると あっという間に暗くなってしまします。
それでも忙しかったイベントの後は しばしご褒美の「何もしない日」を過ごします。
年々遅くなる紅葉です。
赤いコハウチワカエデと 黄色いダンコウバイ。
気が付けば 秋の陽射しは低くなって 今まで見えなかったものが現れます。
低い朝陽で 影が伸びて 美しい物が現れました。
ミルクブッシュの影です。
林に作ったバルコニー。
夕方になると 西日が林の木々を照らし出して 直線の美しさにうっとりです。
しかし、うっとりしてばかりはいられません。
陽が落ちたら 獣たちの時間になります。
早朝、家の裏に仕掛けていた檻にイノシシが入っていました。
最近 家の周りを荒らしていたイノシシです。
先日も夜に帰宅した際に 鉢合わせになった子です。
体重80kgのメスでした。
ここ10年程 こんな大きなイノシシはお目にかかっていないそうです。
可愛そうな気持と これで安心と思う気持ちの両方が去来して 複雑な心境。
美しい自然の中でも 常に命のかけ引きがあることを すっかり忘れていました。
お陰様で25回目の自宅展が無事に終了いたしました。
遠くから来てくれた方、毎年来てくれる方、久しぶりに来てくれる方、
どなた様も 本当にありがとうございました。
2日間とも暖かい小春日和で ゆっくりと過ごして頂き おだやかな自宅展でした。
「幸せな時間を過ごしました、ありがとう」と何人かが言ってくれて 私もとても幸せでした。
今年は 森の中にバルコニーを作ってもらいました。
ランチは「豚肉とリンゴのカレープレート」、ランチは今年で最後です。
柿屋の店長さんには 今年新たに従業員が出来ました(時々おもちゃで走り回りますが)。
店長さんは小学一年生になったので 計算が速くなってお客様達は成長ぶりにびっくりしていました。
9時30分、オープン前の 全員ミーティングです。
皆で情報を共有します。
自宅展のスタッフは女性のみです(柿屋の従業員を除く)
皆さんお仕事を持ちながら この自宅展の3日間は毎年確保してくれています。
彼女たちがいなければ お客様に喜んでもらえる自宅展には とうてい成らないのです。
実力派で誠実な彼女たちは 私の宝物です。
自宅展が終了すると お客様とスタッフそして家族への感謝で いつも涙があふれます。
皆に支えられての一大イベントです。
来年は 年相応に規模を縮小して 長く続けられるようにと考えています。
長年続けてきたランチは 今年で終わりにします。
カフェだけにするか キッチンカーを呼ぶか これから皆と相談です。
形を変えても これからもどうぞ宜しくお願いします。
自宅展のハガキが出来上がりました。
芳名帳にお書き下さった方々にはすでに郵送いたしました。
今年は おはぎを作って大きな白い器に盛りつけました。
これが重くて モデルさんは大変だったようです。
一枚だけ見つけた赤い葉っぱ!
黒い竹で作ってもらった お取り箸!
初めて作ったおはぎ!
でも、一番見てもらいたいのは 大振りの粉引き鉢!!
やっぱり 粉引きの器はいいなー!!!
北海道に住む「Haruさん」、4か月の手形・足形です。
ピンクをご希望でした。
これはまだ生粘土です。
ママが しっかりとした型を取って送ってくれたので ほとんど修正しなくて済みました。
作品が完成して送ったら、こんな写真を届けて下さいました。
満面の笑みです!!
パパらしき人に抱かれて ママが写真を撮っている影が入っています。
この写真からは 溢れるほどの家族の愛情がさんさんと伝わってきます。
喜んで頂けて良かった~・・・深い所から喜びが湧いてきました。
毎日 猛暑が続く日々ですが 一本だけ植えたフェンネルが2メーターにも育って 青空に突き刺さるようです。
皆様はお変わりないでしょうか?
火まつり後の仕事は 粘土作りからです。
300キロの粘土を作るのは ひたすら体力頼みです。
岐阜の「カネ利」さんに注文した粘土が200キロ届きました。
粘土の値上がりと 運賃の値上がりでため息が出ます。
乾粉は 大きな石や木くずを取り分けて 細かいところを使います。
4種類の材料を 混錬気にかけて 粉引き用のオリジナルブレンドを作りました。
でも 暑さでボーッとしたせいか はたまた年のせいか ブレンド比率を間違えてしまってグタグタです。
混ぜてしまった物は やり直しがきかないので 同じ量の粘土を違う比率で作って混ぜて平均化します。
玉子焼きを作ろうとして 塩と砂糖を入れたのに 塩だけが多くなった場合、
砂糖だけを多めに入れた卵を足して 平均化させる・・・そんなかんじ。
ようやく出来た300キロの粘土、出来てしまえばこれだけかーという思いですが 1週間かかりました。
オリジナルと言うのは 手間と時間とお金がかかるものです。
そうまでしてもオリジナルにこだわるのは 土が陶芸のスタートであり 全てだからです。
エネルギーが無ければ 扱えない「土」、エネルギーが全ての「火」。
土と火を扱う者には 大きなエネルギーが必要です。
これらを扱えなくなった時 自分が第一線から退く時です。
「子供のカタチ」
生後1か月の赤ちゃん、こんなに小さい!
鳥取県から型が送られてきたので 粘土に写し取りました。
爪もしわも はっきりと取れています。
両手両足の完成作品です。
ピンクの釉薬をご希望でした。
ご兄弟で足形を取りました。
茨城県の 7歳のお兄ちゃん・たいとさんと 生後1か月の赤ちゃん・しょうとさんです。
7年間でこんなに大きくなって しっかりと歩いたり走ったりしているのが分かります。
釉薬を掛けない焼き締めと 日にちの記入をご希望でした。
とても素敵な作品になりました。
茨城県の 1歳4か月の女の子・いまりさんです。
歩き始めて 目が離せない時期ですね。
指がパーに開いていて バランスを取りながら歩いている様子がわかります。
このくらい足が大きくないと 体重移動しながら歩くのは難しいということですね。
ブルーのご希望でした。
かわいいです!
作品を受け取った方達から 感謝のメールを頂いて ようやく肩の荷が降ります。
そして胸いっぱいの幸福感に満たされて、笑顔になります。
病気や事故で亡くなったお子さんの作品を送った時は 一緒に泣きます。
どの手形からも ママたちのがんばりと喜び 時には悲しみが感じられます。
そしてどの手形からも 命の輝きと大人たちの愛情を感じます。
これから 病気も事故もあることでしょう。
それでも 大きくすくすくと育つことを心から願ってやみません。
この浅いお皿は 使うと手放せない便利なお皿です。
焼くと こんな白いお皿です。
この波波模様の凸凹が とても良い仕事をしてくれるのです。
ちなみに 上が大 下が中サイズです。
焼きたてのトーストを置くと 裏側にこんなに水蒸気がたまります。
それを波波プレートに置くと これだけの水蒸気が全部下の凹みに落ちてくれるので べちゃっとしないのです。
天婦羅やから揚げの時は紙を一枚敷くと、油は紙が吸って 水蒸気は皿の下にたまります。
揚げ物の底がべちゃっとなりません。
おにぎりを置いた所に 水蒸気がたまっています。
おにぎりの形が水蒸気で分かるくらいです。
粗熱が取れてから 海苔で巻きます。
こんな使い方もします。
豆腐の水切りも得意です。
今まで何度も失敗していたプレートですが ようやく失敗が少なく作れるようになりました。
仲本イチ押しの「波波プレート」、お役に立ちますよ!!
火まつりが5日に終って 13日から四国旅行に出かけました。
オーストラリアから妹が来て 姉妹二人旅です。
もう楽しみで楽しみで おやつを持って遠足のようです。
残念ながら 道後温泉は7月まで全面リニューアルで お風呂には入りませんでした。
地元ボランティアの方から 建物の説明を受けてから見上げる道後温泉は 地元の愛で支えられていました。
そしててっぺんに立つ白鷺が 松山の人々の誇りにも見えます。
松山城は 期待以上に素晴らしく、インバウンドも少なくて ゆったりと堪能しました。
実はこの写真を撮ってくれたご夫婦と 翌日しまなみ海道の亀老山(きろうさん)展望台で再開するとは
この時は思いもしませんでした。
そびえ立つ石垣の美しさに圧倒されて 足が止まってしまいました。
しまなみ海道でも一番景色が良いとされている「亀老山展望台」からの景色です。
瀬戸内海の島々を結ぶ白い橋が雄大で美しいこと。
山々、島々、その間に海。
空と雲のグラデーションもなんと神々しいこと!
こちらは徳島県の大歩危渓谷(おおぼけけいこく)
三大暴れ川と言われる吉野川で遊覧船に乗りました。
昔は崖の上に石ころだらけの街道があって わらじで大股で歩くのは危険と言われたそうです。
そのために名前が「大歩危」「小歩危」と言われるようになったそうです。
楽しかったのはここまで。
この後 二人同時に風邪で体調を崩してしまって 食事もしないでひたすら眠る3日間!!
熱が上がって 節々が痛くて だるくて 咳が出て・・・
高速バスで伊丹空港に行き どうにか羽田まで戻ってきました。
2時間かけて笠間まで這いずるように帰って来て ひたすら眠りました。
疲れていたんですね。
火まつり前から ずーーっとだったから。
体力が落ちた自分と付き合う方法を そろそろ身に付けないといけないということですよね。
お久しぶりです、随分ご無沙汰してしまいました。
なかなかブログを更新できなくて 楽しみにしていた方には申し訳ありませんでした。
ばたばたしながら 火まつり突入となりました。
はるか向こうに見えるテント群が 火まつり会場です。
初日は手前まで 入場待ちの列が続いております。
入場待ちの列は3か所で どこも長蛇の列です。
入場料の500円を頂くことになったための列なので 申し訳ない事です。
オープン前日の夕方に完成した仲本テントです。
右側が土鍋コーナーです。
赤色の入った土鍋は可愛くて皆に喜ばれます。
ところが、初日のお昼に中国のバイヤーが上二段すべて購入してしまいました。
購入数は11個、赤色は全て持って行きました。
本来なら「持って行きました」ではなく 「ご購入下さいました」と表現すべきですが、
私が自分の意志で売ったにも関わらず 気持ちは「持って行かれた」なのです。
粉引き作品は白なので お店に赤があると華やかで 皆が入ってきてくれるし、
お一人お一人が 興奮気味に吟味して 大事に持って帰るの見ると 幸せを提供できた喜びがあるのです。
それにしても「いくら高くても売れます」とバイヤーが言ってまいたが、
中国には土鍋を作る作家や職人がいないのでしょうか?
手を使い過ぎて 作業中に「グキッ」という音と共に 痛くて使えなくなりました。
(実際は音はしていないかもしれませんが・・)
整形外科でレントゲンを撮ったら 骨は折れてはいなくて 使い過ぎによる捻挫のようです。
これでは窯焚きも釉掛けも出来ないので 火まつりはドタキャンしかないと思われたのですが、
こんな時に 救ってくれる救世主が現れるもので 窯詰めをしてくれました。
それも窯に触ったことも無い人なのに快く受けてくれて 二人三脚で 出来ちゃったのです。
お陰様でギリギリセーフで お店をオープン出来た次第です。
うちのお店のパワースポットです。
ここは笑ったり泣いたり出来る場所です。
幸せいっぱいで取った手形も 病気や事故で亡くなってから取った手形もあるからです。
子供や赤ちゃんには 心を揺さぶったり共鳴する力があると思い知らされます。
帰り道に信号待ちで撮った風景です。
火まつり開催中に 里山の景色はどんどん変わります。
茶色かった山々は新緑で覆われ、枯れていた田んぼには水が張られ 山や空を写しています。
(欲を言えば 大きな鯉のぼりが泳いでいて欲しいものですが・・)
沢山の友人たちから 暖かい心のこもった言葉や励まし・差し入れをいっぱい頂き
帰り道にはこんな綺麗な夕暮れに囲まれると、「もう出来ない」と泣いた涙が感謝の涙となって
もう少し頑張れる気持ちになります。
取り敢えず もう一年、来年も参加しよう。
そうしたらその次は70歳だから ペースダウンしましょう。
3・11の地震の時に 棚から転げ落ちて口が欠けているコーヒーポットです。
今年もその日が来て あの時の悲しみに思いを馳せました。
電気が使える、お湯が沸かせる、普通の日常を暮らせるありがたさを実感します。
道具には日常の時間経過が刻まれていきます。
特に土鍋には はっきりとした使用感が書き込まれていきます。
欠けたり 黒ずんだりする土なべを使うのは楽しいです。
土なべにスプーン1杯の水を入れ火にかけて 1分ほど温めてからドリッパーを乗せてお湯を注ぎます。
コーヒードリッパーはこちら Mt.FUJI DRIPPER。
すっきりしたコーヒーになります。
私が作るポットは口が大きいので アルミホイルの塊で栓を作ります。
熱や香りが逃げるのを防いでくれます。
残ったコーヒーに栓をして ポットカバーを被せて保温します。
2時間しても温かいコーヒーのお変わりが出来ます。
冷えていたら もちろん火にかけて温め直しもできます。
噴き出さないように火加減を見て ぶつけないように気を付けて
少し気を遣うポットですが それが愛おしい。
そして土鍋ポットで淹れたコーヒーは 柔らかくて抜群においしいのです。
大量の遠赤外線のお陰です。
今日は電気窯とガス窯の 同時に二つの本焼きです。
予定より1週間ずれてしまいました。
雪が降りそうなほど寒いのですが お日様が出てくれて からりと乾燥できました。
慎重に丁寧に積み上げていきます。
待ってくれているお客様方、すっかり遅くなってごめんなさい。
あと1週間待ってくださいね。
ヨーグルトを食べるには寒すぎ。
ストーブの上に乗せて 温めながら頂きます。
窯出しまで一日冷ますので 美容院に行きましょう。
窯から出たら 再び忙しい日々になるので この日だけは心からゆっくりできる日なのです。
泥の付いていない服を着て 久々のお出かけ、うれしい!!
2月26日は私の誕生日でした。
これをきっかけに 5年日記を買いました。
2024年から2028年までの5年間を この一冊に書き込みます。
同じ日にちに 5年分の書き込み欄があります。
そして 右側のページがフリースペースになっているのが この日記の特徴です。
他の日記帳は左右のページが日記になっているものばかりで このタイプはなかなか見つからなかったのです。
右側のスペースには 絵が描けたり 切り抜きを貼れたり 忘れたくない言葉を残せたり・・自由度が高い。
箱の裏には素敵な言葉が。
石に彫り付けてでも残したい言葉があった。
風の中に消えていった言葉もあった。
歌に乗ってどこまでも届くことばもある。
どれも、人のこころから生まれたものだ。
〈『セフティー・マッチ氏の炉辺談話』より〉
手にした嬉しさが倍増します。
5年日記を買ったつもりでしたが 「5年手帳」というネーミングになっていて、
日記を書くつもりだったこだわりが消えて 備忘録や絵日記でもいいんだと荷が軽くなりました。
ペンの試し書き用に日記と同じ紙が1枚、使い方を提案するしおりが1枚同封されています。
そしてそのしおりは「使い方は自由です」と始まります。
自分の中にある日記の概念がどんどん外れます。
買って良かったなー
ワクワクしてきました。
誕生日のページから書き始めます。
すごーく わくわくします!
絵を描いたり シールを貼ったり アイディアを落書きしたり・・
デジタルではないアナログが こんなに嬉しいなんて不思議な感じです。
暖かい日々から一転、今日はみぞれ混じりの雨です。
朝と夜しか燃やさない薪ストーブですが、今日はさすがに寒くて 一日中燃やしていました。
工房に行く前に しっかりと暖まることにします。
足と背中を暖めたら 準備オッケーです。
初めて使う市販の耐熱粘土なので まずは小さい物から。
この粘土でテストはしてあるのですが 販売する作品としては初めてなので小物からスタートです。
リンゴ一個が入って 焼きリンゴが出来るサイズです。
ご飯なら2合炊けそう。
小さくてかわいい土鍋です。
白い粘土で 今回は2個作ってみました。
白地に釉薬をかけたら どんな印象になるか楽しみです。
こちらは今までの粘土です。
これで ほぼ在庫は無くなりました。
中国の買い占めで 土鍋土の原料が手に入らなくなり、作り置いた在庫も無くなって さてこれからどうなるのか?
土鍋を作り続けることが出来るかどうかは 中国政府と日本政府の出方によります。
「土鍋が作れない」ブログ記事はこちらから⇒
今は 手元にある土鍋土を大事にしながら 作品作りをするだけです。
土鍋のポット作り。
苦手な蓋を3個作りました。
蓋のつまみから 切り取るところまで 一気にろくろで挽くのです。
粘土の固まりをを つぶしたり広げたりしながら 写真のように成形します。
粘土の配分がとても難しくて サイズ通りにはいかないので 乾いてから削りを入れます。
どうにか ぴったりと収まって ひとまずホッとしました。
ポットは 部品が多いので常にバランスを確認しながら作り進めます。
1つは注文品、もう1つは火まつり用です。
こちらは 火まつり用に作った土鍋。
新しいデザインの取手です。
可愛くて つい撫でてしまいます。
お気に入りです!
鶏ハムを作りました。
スーパーで買ったサラダチキンは固くてがっかりでした。
やはり 自分で作った鶏ハムが一番美味しい!
鶏むね肉の皮をむいて 塩小さじ1と砂糖大さじ1をすり込みます。
半日置いたら 土鍋で茹でます。
こんな厚い部分には 火が均一に通るように隠し包丁や つま楊枝で穴を開けておきます。
空気を抜いた鶏むね肉を 水から茹でます。
中火にかけて この位うっすら白くなって まだピンク色が残っているうちに火を消します。
あとは土鍋にお任せです。
こちらはご飯炊き用の土鍋なので 二重蓋になっていて保温性が良いのです。
40~50分放置すると 出来上がっています。
水で冷やします。
ほとんどエキスが出ていません、小さじ1杯分くらいでしょうか。
これが 成功です。
エキスが沢山出てしまったら 硬くてパサついた鶏ハムになってしまいます。
中はうっすらピンクでジューシーです。
たんぱく質が必要な時に 肉や魚を調理するのが面倒なことってありますよね。
そんな時に サラダに入れたり パンにはさんだりします。
土鍋鶏ハムは 「水から茹でる」「うっすら白くなったら火を止める」、ここがポイント!
あとは放置するだけです。
しっとりと柔らかな鶏ハムは 土鍋で作るのが一番おいしいですよ。
明けましておめでとうございます。
2024年、今年もどうぞ宜しくお願いします。
元旦から大きな地震で被害を受けた方々には 心からのお見舞いを申し上げます。
日本中が心を痛めております。
一日でも早く 復興しますように 願っております。
元旦のお節を盛り付けるのは お箸が上手に使えるようになった6歳の孫です。
数珠つなぎに まーるく盛り付けたいようです。
お屠蘇も上手に注いでくれました。
画像を見る限り平和裏に進んでいるようですが やりたがりの完璧主義は 他人の口出しや介入を許しません。
周りの大人たちは 孫の気が済むまでじっと我慢です。
お手伝いではなく任せたことにちょっぴり後悔しながら お雑煮が冷めるのを心配しながら 待ちました。
主人の挨拶と乾杯、お年玉、そしてぬるくなってしまったお雑煮とお節を楽しみました。
ここで お節終了宣言です。
「来年は もうお節は作りません!」
皿いっぱいに 手作りの料理を並べ、年越しそば 手巻き寿司 お雑煮 ピザ・・
毎日徹夜をしながら料理の下ごしらえや準備をするのは もう無理!
「止めても無理、来年はお節を買います!」
お腹がいっぱいになった後は 外でお昼寝です。
お天気に恵まれて 男子たちは日向ぼっこです。
子供達は元気に外遊びでしたが、このあと1歳の孫は落下して 顔面強打しました。
おでこから血が出て 口は砂だらけです。
山に泣き声が響き渡り 叱られるおじいちゃん。
仲本家は賑やかに2024年をスタートしました。
今年もどうぞよろしくお願いします。